青梅七福神めぐり

新春初詣

2026午年R8
臨済宗建長寺派仙桃山

宗建寺

青梅の歴史的な文化人や義人のお墓を持つお寺

文武両道の御利益

毘沙門天

毘沙門天は、四天王の一人で、別名「多聞天」とも呼ばれ、『正法を多く聞きその知識を多くの人々に分け与えた』と言われています。その容姿は他の七福神とは異なり、鎧兜を身に付け、右手には宝棒を、左手には宝塔を掲げた「武装憤怒」と呼ばれる形をしています。
宗建寺ではこの毘沙門天を御本尊としてお祀りしています。また、御本尊とは別に弘法大師・空海が製作したと伝わる毘沙門天が秘仏として、1月1日〜同月31日まで御開帳しております。

概要overview

開基は不詳ですが、開山・一蓮社堯誉宗公上人が室町時代後半に浄土宗の寺院として創建したと伝えられています。後に臨済宗の名を得て一翁祖連禅師となり、寺院も二世より臨済宗となりました。御本尊は毘沙門天王で、本堂内陣に祀られています。山門に掛かっている山号額には当山十二世大祐和尚の時、元文元年(1736年)に書かれたものです。

特長feature

裏宿七兵衛の墓石

江戸中期に青梅の裏宿地域に住んでいた義人です。昼は農作業に従事し、夜に悪名高い商人や悪代官の屋敷に忍び込み、金品を盗み出しては凶作で苦しむ人々に分け与えたと言われています。しかし、人の為とはいえ盗みには変わりなく、ついに御用となり打ち首刑になってしまいます。宗建寺の北に位置する笹の門と呼ばれる場所に晒し首となり、大雨に見舞われ、宗建寺の山門前に流れついたことから、時の住職がその亡骸を気の毒に思い、手厚く葬ったのがこのお墓の由来になっています。

根岸典則の墓石

江戸中期、青梅の縞問屋に生まれた青梅を代表する文化人の一人です。若くして文学に興味を持ち、和歌を京都で、儒学を折衷学派の提唱者の元で学び、禅の指導を鎌倉で受けるなど学問に非常に幅広く精通していました。晩年には家業を養子に譲り、典則自身は隠居せず本の製作や文芸の指導に励みました。この青梅の文化発展に貢献した根岸典則の墓は、都指定旧跡とされています。

庚申塔

境内の池の築山の御堂「妙音殿」参道の登り口にある丸型の石塔が庚申塔です。 庚申とは「庚申(かのえさる)」の日を表しており、その日の夜には三尸(体内に宿る三匹の虫と言われる)が悪さをすると伝えられています。そのため古くからこの日には夜を徹する習わしがあり、その守り神として仏家では青面金剛や帝釈天、神道では猿田彦神をお祀りしたと伝えられています。

所在地location

〒198-0043 東京都青梅市千ヶ瀬町6-734
徒歩でお越しの場合
JR青梅駅から徒歩約5分
バスでお越しの場合
住吉神社停留所[都営バス 梅70・梅74・梅76・梅77]から徒歩約1分
お車でお越しの場合
圏央道 青梅I.C.から車で約20分
駐車台数 約15台
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